茶の発祥地・中国では、お茶は解毒薬。
嗜好品になったのは、宋時代から。
茶の発祥地は中国といわれています。本草学の始祖、今日の漢方薬の基礎を築いたと伝えられる神農帝が、山野を駆け巡り、人間に適する野草や樹木の葉などの良否をテストするために、一日に72もの毒にあたり、そのたびに茶の葉を用いて解毒したという話は、お茶を知る上で重要です。また中国・唐時代(659年)に書かれた『新修本草』という本には、薬としての茶の記録が書かれています。中国では、茶は当初は薬、特に解毒薬として飲まれていました。「お茶を一服」という言葉は、これに由来するといわれています。嗜好品として飲まれるようになったのは、宋時代以降からです。
  日本に茶を広めたのは、臨済宗の開祖・栄西。
お茶の種・飲み方を中国・宋から持ち帰る。
日本には、少なくとも奈良時代にはお茶が飲まれていたと考えられます。しかし、当初お茶は大変な貴重品でした。それを普及させたのは、鎌倉時代に、臨済宗の開祖・栄西がお茶を中国・宋から持ち帰ったのがきっかけです。栄西は、宋へ修行に行き、多くの経典とともに、お茶の種と飲み方も持ち帰ったのです。当時のお茶は抹茶に近く、江戸時代に入ってからは、煎茶が茶の中心となり、庶民の口にも入るようになりました。
  甘い和菓子は近世以降。
茶請けには、胃を刺激から守る役目も。
茶請けといえば、和菓子が真っ先に思い浮かびます。しかし、和菓子が茶請けとして用いられるようになったのは、日本に砂糖が入ってきた近世以降です。それまでは、千利休の茶会でも、カヤ、クリといった木の実が食べられていました。茶請けには、お茶の味を引き立てるだけでなく、茶カテキンやカフェインといった刺激物から胃を守る役目もあります。茶請けは、胃をいたわり、お茶を楽しむための先人の知恵といえるでしょう。
  お茶がヨーロッパに伝わったのは
16世紀・大航海時代。
お茶は中国から世界中へ伝わりました。ヨーロッパに伝わったのは大航海時代に入る16世紀で、中国広東にやってきたポルトガル人が最初にお茶を味わった西洋人だといわれます。17世紀に入ると、新たにアジア交易の覇権を握ったオランダによって、お茶がイギリスに輸出されるようになりました。
  お茶が世界中に普及したのは、
20世紀から。生産国もどんどん拡大。
お茶が世界の隅々にまで普及したのは20世紀に入ってからです。19世紀半ばにはインド、セイロンで生産がはじまりました。現在ではアフリカや南米でも生産されています。2002年の統計によると、世界の茶の生産量は約306万トン。そのうち、緑茶は約74万トン、ウーロン茶は約15万トン、紅茶は210万トン程度であると推定されます。